世界遺産のまちで日本文化を味わい尽くす旅
2022年11月某日、島根県内の各市町村で国際交流員として活躍する方々が石見銀山の麓のまち・大森町に集いました。国籍はフィンランド、アイルランド、ブラジル、インドネシア、ベトナム、中国、アメリカ、フランスと多種多様です。
国際交流員とは、地域の国際交流推進を図るために各地方自治体が招致した外国人のこと。今回は「世界遺産のまち」として知られるここ大森町で、日本の伝統文化への理解を深めるためのモニターツアーが開催されました。
Text:内藤 千尋
Photos:戸田 耕一郎
2022年11月某日、島根県内の各市町村で国際交流員として活躍する方々が石見銀山の麓のまち・大森町に集いました。国籍はフィンランド、アイルランド、ブラジル、インドネシア、ベトナム、中国、アメリカ、フランスと多種多様です。
国際交流員とは、地域の国際交流推進を図るために各地方自治体が招致した外国人のこと。今回は「世界遺産のまち」として知られるここ大森町で、日本の伝統文化への理解を深めるためのモニターツアーが開催されました。
最初に訪れたのは「熊谷家住宅」。江戸時代に建てられた有力商人の屋敷で、約1,500平米もの広大な敷地の中に、主家と5つの蔵と納屋を擁する大規模な民家建築です。平成10年に国の重要文化財の指定を受け、平成18年より一般公開されるようになりました。
熊谷家とは、石見銀山御料内で最も有力な商家であり、家業として鉱山業・酒造業・金融業のほか、代官所の御用達も務めたとされています。その豪邸内には30室に及ぶ部屋数があり、当時の熊谷家の勢力の大きさを物語っています。中には人目を忍んで梯子をかけて昇り降りされていたと言われる地下蔵もあるなど、見所が満載です。
この施設では住宅内部の見学のほか、住宅の台所にて昔ながらのかまどご飯炊き体験ができます。多国籍な国際交流員御一行様も、さっそく貴重なかまど体験をさせてもらうことに。
屋敷の台所に案内されると、そこには昔ながらの重厚なかまどがいくつも並んでいます。約200年前の当時、これらのかまどで一体何十人分の食事を準備していたのでしょうか。
「かまどのススで服が汚れますからね、皆さんこちらのエプロンと三角巾を装着してくださいね。」
そう言ってスタッフの女性たちが手渡してくれたのは、ひと針ひと針手刺繍のステッチが丁寧に施された手作りのエプロン。
参加者の皆さんは一人ずつこれを身に付けて、頭髪をバンダナで覆って準備完了です。
かまど体験は、江戸時代の女性たちが実際に日々行っていたとされるご飯炊きの工程を忠実に再現しながら進行されます。
まずは升を使った米の計量。そして米研ぎ。
「米研ぎのコツは、とにかくやさしく研ぐこと。ゴシゴシ強く洗うと、お米にストレスがかかって美味しく炊けないんですよ。」
「水の計量はね、昔は今みたいに目盛りがついた釜はないから、自分の腕のこの辺りまで…と覚えて計っていたのですよ。」
とびきり美味しいご飯を炊くために伝えられ続けた生活の知恵に、参加者の皆さんも熱心に聞き入っていました。
お米の吸水時間を利用して、お次は薪割り体験。炊飯の度に火を起こす必要があった江戸時代では、燃料確保も大切な作業のひとつでした。
利き手に斧を持ち、反対の手で薪を支え、薪の中心を狙って斧の刃を立てる。その状態で薪を持つ手を上下にコンコンと台に打ち付けると、木の目に沿って真っ二つに割れます。
参加者の皆さんも順に薪割りにチャレンジ。
うまくパカッと割れると気持ちよく、思わず笑顔がこぼれます。
お次は今割った薪をかまどにくべながらの火入れです。スタッフの女性が薪に点火するや否や、すぐにもうもうと白い煙が立ち込め、広々とした台所にあっという間に充満し、目に沁みます。
すかさずうちわを片手に火を風で仰ぎながら、火加減をチェックします。火力が少し弱いかなと言う時には「ふいご」を使って息を吹きかける。逆に火力が強いときは、薪を崩して火を弱める。とにかく片時もかまどのそばを離れることが許されず、炊きあがりまでつきっきりで火加減をウォッチし続けるのです。
煙が目に染みるわ、吸い込むと喉が痛いわで、想像を超える重労働。
「昔のお嫁さんは、毎日ご飯を炊くのにこんな大変な思いをしていたんですね…」
ひとりの交流員の女性が思わず呟きました。
ご飯の炊きあがりまでの時間は30~40分ほど。その間、参加者は交代でうちわ係を務めながら、敷地内の畑で芋ほりを体験することに。
「さあ、誰が一番大きな芋を掘るか、コンテストしましょう!」
スタッフの女性の掛け声で突如始まった芋掘り大会。エプロン姿の交流員たちが、一斉に畑の芋を掘り起こし始めました。
「なんだか宝探しみたい!」
「見て!双子の芋が掘れた!」
「私、芋掘りの才能あるかも!」
あちこちで歓声が沸き上がり、この日一番の盛り上がりを見せました。
「この畑では、さっき米研ぎしたときのとぎ汁や、かまどの灰を肥料にしているの。こんな風に昔のご飯炊きはね、全くゴミを出さない工夫をしていたのよ。」
「掘った芋はね、土をつけたまま新聞紙にくるんで、冷蔵庫の隣に置いておくとよいの。冷蔵庫の横って、冬でもほんのりあったかいから、その温かさで長持ちするのよ。」
こうして作業の合間で昔ながらの暮らしの知恵を授けてくれる、熊谷家住宅の案内人の女性たち。
その後、この庭に生えた野草を使った野草茶も振る舞われました。
野草茶には、桑の葉やえびす草など庭に生える野草のうち、特に香りのよい5種類の野草の葉がブレンドされているそう。
後に炊きあがるご飯で作るおにぎりと共に味わえるよう、交流員たちが各々持参した水筒に野草茶を注いでもらいました。
さて、そうこうしている間にいよいよご飯が炊きあがった模様。火消しをしたあと、じっくり蒸らしたのち、かまどの蓋を開けると…。
「おおー!」
そこに現れたのは、モァーっと大量に立ち上る湯気と、つやつや、ピカピカのご飯。
思わず参加者たちから感嘆の声が上がります。
「ここからさらに魔法をかけて、もっと美味しいご飯にしますよ。その間に住宅の見学に案内しますね。」
炊きたてのご飯がさらに美味しくなるなんて、どんな魔法をかけるのでしょう?
炊きあがったご飯をおにぎりにする準備をしてもらう間、二手に分かれて住宅の中の探索ツアーに出かけます。
武家屋敷と同じしつらえの格調高い玄関、銀を天秤ばかりで測っていたとされる勘定場、応接間の上部に施された美しい影絵のような欄間など、江戸時代にこの地で力を持っていた熊谷家の勢力の大きさを物語っています。
その他、各部屋では当時の食器や着物などの衣装、嫁入り道具に至るまで、可能な限り精細に再現された展示品の数々も観ることができます。
急勾配の階段を昇り降りしながら、半ば探検のような気分で大小30にも及ぶ部屋を巡るミニツアーは興味深く、交流員の皆さんもガイドの方の説明を熱心に聞いていました。
豪邸探訪を終えて台所に戻ると、おにぎり作りの準備がすっかり整っていました。
1人分ずつお盆の上に材料が美しく盛り付けられ、何やらおにぎりを飾り付けるためのグッズまで並べられているようです。
普通に白米を手で握っておにぎりにするだけだと思っていた皆さんはびっくりしつつも、これから何が始まるのだろうと、ワクワクする気持ちを隠し切れません。
おにぎりの具材は全部で6種。かつお節、鮭フレーク、野沢菜、しそ昆布、たくあん、そして梅ジャム。色んな味が1つのおにぎりで楽しめるようにと、厳選された具材の数々です。
スタッフの女性たちの指導に沿って、思い思いの具材を入れながらおにぎりを作っていく参加者の皆さんたち。
「あら、上手にできたわねー!」
「いい感じよー!」
褒め上手なスタッフさんに乗せられつつ、それぞれ自分だけのオリジナルおにぎりを完成させていきます。
大きな三角おむすびが完成したら、さらにちょっぴりおめかしを。
緑色のハランでおにぎりをくるんで、麻ひもで結び、結び目にアイビーの葉と南天の実を飾って、はいできあがり。
とびきりスペシャルなおにぎりになりました。しかもこれで終わりかと思いきや、さらにこのおにぎり作りには続きが。
おめかししたおにぎりを、スカーフのような布で包んで、皮の持ち手を付ければ…
とってもかわいい「おにぎりバッグ」の完成です!
なんとも気の利いたアイディアに、参加者の皆さんにも満面の笑みがこぼれます。
「せっかく手間暇かけて作るおにぎりなので、ピクニック気分で最高に美味しく味わってもらえたらいいなと思って、私たちが考案しました。」
女性ならではのきめ細やかなおもてなしの心が光る、粋な演出。
熊谷家住宅のスタッフの皆さんの、参加者の方々に心から体験を楽しんで欲しいという想いが伝わってきます。
一人ひとり手作りのおにぎりバッグと、野草茶の入った水筒を持って、庭先でお待ちかねのランチタイムです。
「いただきまーす」
一つひとつの工程に手間暇かけて、最後は自分の手で仕上げたおにぎりの味は格別。
「本当に美味しいです!」
参加者のひとりが満面の笑みで答えてくれました。
温かな日差しの降り注ぐ晩秋の庭で、さまざまな国から集まった国際交流員のメンバーたちの談笑する声が響き渡っていました。
至高のおにぎりでお腹が満たされたあとは、世界遺産・石見銀山遺跡のハイライトでもある「龍源寺間歩」へのガイドツアーへ。
このガイドツアーは「ワンコインガイド」と呼ばれ、文字通り一人当たりたったワンコイン=500円のガイド料だけ支払えば、片道90分かけてゆったりと大森の町を散策しながら、間歩までの徒歩コースを贅沢なガイド付きで案内してもらえます。
ガイドを務めるのは、地元有志のボランティアの方々。どのガイドも石見銀山の歴史や大森町の情報に精通し、軽快かつ丁寧なガイドが大変好評です。
この日は2つのグループに分かれ、それぞれ1名ずつのガイドの方がツアーを先導。熊谷家住宅を出発し、大森の町を通って間歩まで徒歩で向かいます。
「大森の町にはね、ほら、電線がないでしょ?これは昔ながらの町の景観を守るために、敢えて電線を道路の下に埋設したせいなんですよ。」と、ガイドさん。
言われてみれば確かに、この町には頭上に電線が見当たりません。
「それからね、エアコンの室外機とか、自動販売機とか、そういう現代の機械みたいなものは、全部木材で覆われているの。古くからの町の景観を守るために、町民の皆さんの発案で自主的に行われていることなんですよ。」
歴史ある町を大切に守りたい。そういった住民の皆さんの想いや地道な努力が、町の随所に散りばめられています。
その後も間歩までの道中では、見どころスポットを通り過ぎる際に、ベテランガイドならではの豊富な知識に裏付けされたさまざまな切り口での解説がずっと続くから驚きです。
町ぐるみで子育てに取り組んでいる、大森町の保育園の話。
世界遺産の町の貴重な生態系を車の排気ガスから守るため、自動車の乗り入れを制限していること。
銀山が栄えていた時代の銀の精錬法や、山の上にあったとされる銀山の町の言い伝え。
きっとこのようなガイドの同行なしでは、ただレンタサイクルの自転車でサッと通り過ぎて終わってしまうだけの味気ない道のりになったことでしょう。
しかし丁寧なガイドを聞きながら歩くことで、500年前の時代に確かにここに存在していた鉱山の町の賑やかな様子や、命を削って銀の採掘に身を捧げた坑夫たちの存在、馬の背に重い銀を積み何日もかけて瀬戸内まで運んだ人々の姿が目に浮かび、途端にツアーに臨場感が生まれます。
だからこそ、石見銀山観光では「ガイドがある場合とない場合とでは観光の満足度が全く違う」と言われているのです。
参加者も皆ガイドさんの軽快なトークに終始興味深く耳を傾けながら、銀山へ続く道のりの散歩を楽しんでいました。
石見銀山には大小合わせて900本以上の坑道が発見されており、その中で最も代表的なものがこの龍源寺間歩です。
全長約600メートルあるうちの、入口から約160メートルの部分が公開されており、実際に坑道の中を歩くことができます。
細く薄暗い坑道に足を踏み入れると、その昔坑夫たちが銀の鉱脈を掘り当てるために完全手作業で掘り進めたノミの跡が、岩肌にくっきりと残っています。
途中左右に枝分かれした坑道をのぞき込むと、まるでアリの巣のようにその先々まで細かく枝分かれしているのが見て取れます。このように横坑道が掘られた場所は、鉱脈がここにあったことを示す証でもあります。少しでも多くの銀を採取しようと、粘り強く岩壁を砕き続けた当時の坑夫たちの情熱を感じます。
今でこそ展示用として照明も整備されていますが、当時は真っ暗な坑道の中を「螺灯(らとう)」と呼ばれる、サザエの殻に植物油を注いで火を灯した小さな灯りのみを頼りに掘り進めたといいます。そのため岩肌には今でも、この螺灯を置いていたと想像される小さなくぼみがいくつも見られます。
「銀の採掘現場は過酷で、暗く狭い坑道の中で酸素は薄いし、いつ岩が崩れ落ちるかもわからないので、常に死と隣り合わせの作業だったんです。だから銀山では男性が30歳まで生きれば長寿のお祝いがされていました。」
命がけで鉱山を掘り続けた当時の労働者たちに思いを馳せつつ、坑道を奥へ奥へと進むと、出口へと続く広く明るい新坑道にぶつかりました。
心なしか、ホッとする瞬間です。
間歩からの帰り道、参加者のひとりであるベトナムから来県している国際交流員の方に感想を聞きました。
「最後に見た坑道は、機械がない時代に人の手だけであれだけの穴を掘り進めたかと思うと、すごいなと圧倒されました。
実は以前にも一度龍源寺間歩を見学したことがあるんですが、その時はガイドなしだったので、どこへ行けばよいか分からず迷子になってしまったし、楽しみ方もあまり分からないまま終わってしまったのですが、今回はガイドをしていただいてとても分かりやすく、最後まで楽しめました。」
さらに最も驚かされたのが、間違いなくツアー参加者の中でも最年長であるガイドの女性が、最後の最後まで一番元気だったこと。全く疲れを見せることなく、終始生き生きと大森の町と銀山の魅力を語ってくださいました。
最後に「それでは皆さん、また会いましょう!」とはつらつとした笑顔で手を振ってくださり、ツアーは終了しました。