浅利海岸【江津市浅利町】
絵画のような景色が目の前に。青い海と白い風車「浅利海岸」
萩・石見空港へお昼過ぎに到着し、そこから一気に大田市まで車を走らせます。関東での車旅につきものの渋滞とは無縁で、目を奪われる車窓の景色に会話も弾みます。
旅というのはとかくスケジュールを詰め込みがちで、スポットからスポットの間を通過してしまうこともしばしば。しかし、その通り過ぎていく中に「なにげない景色」が隠れていて、ハッとさせられるような美しい瞬間に出会える。それがまさに”旅の楽しみ”です。
石見旅の途中は立ち止まる時間が多ければ多いほど、自分だけの風景やノスタルジックな光景を見つけられます。
特に石見は海岸線沿いに国道や鉄道が走り、日本海を近く感じることができるでしょう。
江津市にある浅利海岸は、青い山々と透明度の高い海を従えて、11基の白亜の風車が立ち並びます。そこまでの旅の行程を振り返り、あるいは旅の続きに期待を膨らませながら、穏やかな景色に心を落ち着かせます。
これこそがありのままの石見であると思うのです。
少しだけ見られた青い空。
しかし曇りがちの天気もまた、雲の流れる様子に移ろいを感じることができるいわゆるひとつの「島根らしさ」。
ここに赤瓦が加われば完璧です。
浅利海岸までくれば次の目的地、「石見銀山」まではもう少しです。
石見銀山・龍源寺間歩【大田市大森町】
ヨーロッパ人に日本を知らしめた存在「石見銀山・龍源寺間歩」
空港から約1.5時間、世界遺産のある町、大田市大森町へ到着しました。早速レンタサイクルを借りて町並み散策開始。
大森町は山間の谷の地形に沿った町。谷を吹き抜ける風を感じながら、ペダルを踏み「龍源寺間歩」を目指します。
2007年、「石見銀山遺跡とその文化的景観」としてユネスコ世界遺産に登録された石見銀山。
島根県大田市大森町の石見銀山にある「龍源寺間歩」は、銀山から銀を採掘するために掘られた坑道跡のことで、現在唯一常時公開されている間歩です。600以上発見されている坑道跡も道すがら見ることが出来ます。
人が今でも住む町をひっくるめて世界遺産登録された例。歴史的価値がある町並みに人が住み、日常をすぐそこに感じられるという特別な場所だからこそ、町歩きを楽しみたい場所です。
「大森の町並み地区」は幕府直轄地の中心となった町で、武家や商家の家々が混在しています。また間歩に近い奥にあたる「銀山地区」には、銀生産や銀の産出を行っていた原料生産現場となります。
住まいと職場でひとつの町を形成している銀山。「通勤時間1時間」が珍しくない東京からここへやってきた私からするともう、ここでどんな営みが行われていたのだろうと不思議な感覚しかない。
しかも小さなこの町の銀に魅了され、多くのヨーロッパ人が命がけの航海をし、日本を目指したと言います。こんな山奥の細長い谷にこれほどまでに栄えた町があったなんて、おとぎ話のようです。
ただ歩いているだけでは絶対に見落としてしまうような小さな小さな白い花があります。
金属を養分として咲く花であることから、鉱脈を探し当てる時の目印だったのだとか。龍源寺間歩に近づけば近づくほど、この花を見つけられるようになります。
このように銀鉱脈を見つけることは技と知恵を結集した職人仕事でした。
間歩の中へ入るとひんやりとした空気に包まれます。手彫りの跡や鉱脈の筋などがはっきりと見てとれ、過酷な仕事ながらも銀を掘り出すことに情熱を注いだ鉱夫の姿が、坑道跡のごつごつとした岩に重なります。
石見銀山ガイドの会の方とまわると、詳しく教えてもらえるので理解も深まりますよ。
群言堂【大田市大森町】
暮らしの中に息づく日常 ”根のある暮らし” 「群言堂(石見銀山生活文化研究所)」
この小さなエリアから日本全国へと店舗展開し、各地にファンを持つ企業「石見銀山生活文化研究所」のショップ、群言堂。アパレルから生活の小物、各地の商品をセレクトして扱い、また奥にはカフェも併設されています。
大森の町並みを歩くと、沢山の梅の木を見ることが出来ます。これらは銀山採掘当時、布と布の間に梅の実をつぶして挟むことで粉塵を防ぐマスクの役割をしていたというのです。
この石見銀山の梅の花から発見された酵母菌「梅花酵母」を使った群言堂オリジナル商品がありました。
ひとつは、自然派化粧品の「MeDu(めづ)」 。
塗るものがあれば飲むものもある。
こちらは梅酒と日本酒。どちらも梅花酵母で仕込んだお酒です。
甘すぎず少し酸味もある、食事にも合わせられる梅酒です。
家族や友人へのお土産や、そして石見に来た思い出の品を選ぶのも良し。
ここで選んだものはなぜか大切に使いたいと思わせられるものばかりです。
他郷阿部家【大田市大森町】
涼やかな虫の声を聴きながら眠りについた「他郷阿部家」
この日のお宿は1日3組しか泊まれない宿、他郷阿部家です。
ここはもともと、江戸時代後期に建てられた武家屋敷。群言堂を運営する「石見銀山生活文化研究所」所長の松場登美さんが家主として築230年の古民家を暮らしながら再生し、宿泊できる施設にしたものです。登美さんの暮らしの中にほんのちょっとお邪魔する。
そんなスタイルの宿なのです。
家の真ん中には台所。
人と人とがつながるため、また私たちが生きていくための糧となる「食」が、暮らしの中心にあります。夕食、朝食はみんながここに集まって一緒に取ります。笑いと会話が絶えないにぎやかな食事の時間。
古民家は13年かけて改装されたといいます。扉や家具を触る度、角が取れて丸く柔らかくなった感触が指から伝わり、古き良き木のぬくもりを感じます。一方、暮らしやすく手を入れられた箇所もあり、経年による不自由は一切感じません。
夜には和ろうそくを灯して入るお風呂でゆっくりと湯船に浸かります。
涼しい風が吹き込んで、ろうそくの灯りが揺れます。
何年ぶりでしょうか。天井から釣られた蚊帳の中で眠りにつきます。
寝具の寝心地の良さと柔らかなガーゼのパジャマにくるまれて、いつ眠ったのか記憶がありません。
ハレの日に対する「普段」は、元々語源が「不断」。絶え間ない日々、いつまでも続くという意味です。
「普段の暮らし」に身を置き、意識澄み渡る感覚を味わってみるのもいいものです。
この日だけはいつも手放さないスマートフォンをそっとカバンの中にしまいました。